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お気楽金融雇われ人の見聞録

八百長騒ぎは相撲協会の建前至上主義の結果

力士会は労組として八百長の必要性主張を
何度も繰り返すが、かつて私が相撲を取材していた時代は、八百長というのは当たり前だった。ある相撲担当記者からこんな話をきいたことがある。「老いた大鵬は引退する直前は、かなりの勝ち星を金で買わざるをえなくなった。自分のために八百長を普通にやる過ちはあそこから拡がった。若乃花栃錦はお客のために八百長をやった。どれだけ力をこめ素晴らしい土俵・取り組みに見せるか、綿密な打合せで、あるときは事前に時間をかけてリハーサルをやってまで臨んだ。相撲は危険なスポーツであり、もしすべてが素でやったら、けが人だらけになる。したがってショー的要素を踏まえて取り組まざるをえない。」
(2011年2月9日 シジフォス)

大相撲の八百長騒ぎ、ヒアリングを受けた力士が携帯電話を壊したとか、機種変更したとか、どうでもいい話が目立ってグダグダになってしまっているけど、そもそもは、相撲協会が「八百長はない」と公言し続けてきたことや、横綱審議会が必要以上に「品格」を重要視した副作用。相撲協会に対しては自業自得としか思わないのだけれど、個々の力士にとってはとんだとばっちりだよね。

元記事は、力士会は相撲の存続と力士の生活と権利、安全を守るため、「必要悪」として八百長の正当性を訴えるべし、という趣旨のエントリー。ここに書かれているとおり、昔は八百長が当たり前だったかどうか、私には知るすべはないのだけれど、「八百長」を力士の安全を守るための手段と考えるのはアリだと思うし、合理的な考えとも思う。

引き合いに出すのが妥当かどうかわからないけど、プロレスは「八百長かどうか騒ぐのは野暮」とでも言うような雰囲気があって、ファンもその上に乗っかって楽しんでいる。「プロレスは八百長だ」と主張する人はいなくならないけれど。

それでもプロレスの試合中の事故で大怪我したり、命を落としたりするレスラーはなくならないし、寿命を短くしたよなぁと思うレスラーもたくさんいる。こういう「事実」と照らし合わせて少し頭を使えば、大相撲の「八百長」の実態がどこにあるか分かりそうなもんだ。

今回、「八百長は無いと思っていたのに」といって怒るファンが多いのは、結局、相撲協会の建前至上主義の結果なんだよね。相撲協会にしてみれば、公益法人だなんだという話があって、「清潔」であることを求められたが故の建前至上主義なんだろうけど。公のカネが入ると、建前に縛られて、ロクなことにならないといういい見本だ。

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