聞いた、見た、読んだ。

お気楽金融雇われ人の見聞録

塾の先生 by 母

個別指導塾 by 母」の続きです。

塾の話に戻ると、個別塾の授業料は集団に比べ、ものすごく高いです。私はもう途中からかかった金額を数えるのを辞めました。終わってから引き落としの口座の記帳に行って本当にびっくりしました。ううーん。
でもなんとかなってしまうのです。この高い塾代のおかげで練習になったのか、授業料など見てもびびることもなく、家計をやりくりできそうです。たぶんこんなにはかかりませんから。

そうまでして得たかったものは、志望校の合格だけでなく、Nの小学6年生らしい生活でした。
野球は、秋の頃まで毎週とは行かなくてもグラウンドにいました。模試があってどうしても行けない時もありましたが、夏休みの合宿はチームのみんなと参加し、12月の6年生を送る会や親子試合にも朝から参加して区切りをつけることができました。
なんとなくですが、グラウンドで走り回った後は、疲れて眠くなった時もありましたが、すっきりとした顔をして机に向かうことも多く、素直にやっていることが多かったように思います。
野球が厳しい学習を続けるNの心の支えになっていたように思います。

塾にいる時間が短く、おまけに基礎がガタガタになっていたNなので、塾を移ったはじめのころは、漢字や計算ばかりを宿題にやらされ、答えをもらえないので結局やりっぱなしで塾に行き、解説という繰り返しで、本当に大丈夫かと焦りました。
しかも、はじめに引き合わせられた算数の先生とは合わなくて、なんとNが自分で担任の先生に直談判し最後まで見てくださったK先生に代わってもらうというごたごたもありました。

しかし、この漢字と計算の日々はその後彼の大きな武器になったのです。
Nが自分で、この先生が良いと教えを求めた算数のベテランK先生に彼は絶大な信頼をおいていたのでぶれることが少なかったような気がします(父母は正直K先生に気をもむことも時々ありましたが…)。K先生には夏以降、理科も見てもらうことになりました。

国語のO先生は、ものすごく優しいお兄さん先生で、この先生にもNは絶大なる信頼をおいてなついていました。この先生は大学受験のお子さん達も見ていらしたのか、時々Nに大学受験などの話をしていたようです。
受験終了後、Nはこの先生の言葉を思い出したのか、大学受験についても少し私に話すことがあり、これは予想外の良かったことだった気がします。
塾の担任の先生も野球をやっている方だったので、そんなこともあってかNは信頼を置いていました。
正直いうと父母は、塾や先生のやり方で疑問に思うこともありましたし、考え方が合わないこともありましたが、Nの前では絶対に言わないようにしていました。Nにとって不信感が最大の敵でした。安心感が大事だったような気がします。

良い先生には恵まれたものの、個別になったときから、自宅学習が彼の受験生活の大半を占めることになりました。以前のブログにも書かせて頂きましたが、Nが塾を変わった時点で小さな頃からつききりだった母は、受験勉強から撤退、そして法科大学院を卒業し、自分の受験を数年延ばすことを決めた父が取り仕切ることになったのです。まさに父子チームになりました。

母はというと…、後方支援ということになりました。つまり家計調整、平日の学校説明会(父子が主に選ぶ)に行き情報を父に伝えることというのが主な仕事です。次男Mも2年生になったので、彼にも少しずつ勉強をさせないといけません。これを母が受け持つことにしました。

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