聞いた、見た、読んだ。

お気楽金融雇われ人の見聞録

胡散臭さの法則

週末あたりからえらく話題になっているようですね⇒鏡の法則(ハンカチを用意して読め!)

読んでみましたが、エピソードを個別に見ていくと、A子さんがお父さんと和解したとか、A子さんの息子に対するいじめが収まったとかそれぞれ「ちょっといい話」ではあるのだけれど(そもそも息子に対するいじめが、客観的に存在していたのか疑問はありますが)、全体で見るとカルトの使う典型的な手口、なんでしょう。どの辺りが胡散臭いかと言えば、ぱっと思いつくだけで3点ほど指摘できる気がします(心理学は素人なので、間違いがあればご指摘いただければ、と思いますが)。

1. 因果関係の濫用
まず、本来独立しているはずのエピソード(父との和解とか、夫との関係改善とか、息子のいじめ解消とか)が、さも関連づいているかのように因果関係で結ばれてしまっているのが何とも言えず香ばしいです。「風が吹くと桶屋が儲かる」式の論理展開は、よく見かけますが、実際それぞれのエピソードがつながる根拠は無いことがほとんどですね。あるとしても「そう思うから」くらいでしょうか(^^

2. 内罰傾向の強化
それぞれのエピソードの問題点の原因が、なぜかA子さんの心の持ちようにあることにされている点もかなり問題ありでしょう。確かに相手の立場に立って考えてみるのは、重要なことだし、問題解決のヒントになることが多いのでしょうが、その場合でもお互いの立場や考え方は相対的ですから、問題の原因が自分だけにあると考えてしまうのは危険ですね。また、そう思わせようとする人間は、その内罰傾向をネタに何かしよう(セミナーに取り込むとか、壷を買わせるとか)としていると考えて良さそうです。

3. 「考えるな」というメッセージ
また、知性的と自認している人物を主人公にして、話を展開させている辺りは、反知性主義の香ばしい香りがプンプンしますね。リンク先のエピソードは、乱暴に一般化して要約すると「知性的と自認している人物が、頭で考えるのではなく『手を動かして』自分の潜在意識に気づいた結果、物事が好転した」と言えるかと思いますが、ここから「考えるな」というメッセージを読み取ることはそう難しいことではないでしょう。

逆に言うと、この3点セットが揃った言説は、まずカルトの可能性を疑った方がよろしかろう、ということですね。