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愛国心なんて評価されたくない

愛国心」埼玉の50校通知表に 教師「評価できぬ」
衆院で本格審議が始まった教育基本法改正案の最大の焦点は、「愛国心」の取り扱いだ。現行の学習指導要領のもとではすでに、通知表に「愛国」に関する項目を入れた経験がある学校や、いまも採用しているところもある。実際にどう評価したのか。
24日の衆院教育基本法特別委員会で、小泉首相は、基本法に盛り込まれた「我が国と郷土を愛する態度」に関し、義務教育課程段階での評価項目としない考えを明らかにしている。
埼玉県教委によると、同県内では25日現在、4市2町の50小学校で、通知表に「愛国心」に関する表現が入った項目が評価の対象になっている。…
…小学校で6年生担任のベテラン男性教諭は「現場では『愛国心』は評価の対象になっていない」と断言する。「自国を愛し」以下の部分は達成目標が示されているわけでもなく、評価基準があいまいなため、点数がつけられないという。「前段部分だけで評価している。授業態度や宿題などをもとにした評価がほとんど。愛国心の大小が入り込む余地はない」(asahi.com 2006年5月26日)

プチ保守右派」ブログを自認する「聞いた、見た、読んだ。」ですが、こういうのはダメ、全く受け付けないですね。実に気持ち悪い。

愛国心なんてすぐれて内面的な価値観の問題なんだから、それを外から強制して評価までしてしまうなんていうのはありえないでしょう。大体、どうやって愛国心を評価するんでしょう?愛国心の表現の仕方だって色々あるでしょうに。例えば右よりの人々が、特定アジアにシンパシーを持つ人々を「売国的」だと罵るケースを目にすることがあるわけですが、あれにしても、特定アジアにシンパシーを持つ人は彼らなりの「望ましい日本」の姿を追い求めているわけですから、そういう点においては実に愛国的な方々だという評価も可能だと思うわけです。

そもそも愛国心の発露のされ方なんていうのは百人百様でしょう。学校現場には、こんなあいまいな評価基準もはっきりしないものを評価項目に盛り込むことではなく、価値観や主義主張の多様性をどうやって確保するかというところに心を砕いてもらいたいなと思います。実社会でもなかなか実現できていないことではあるんですけどね。