聞いた、見た、読んだ。

お気楽金融雇われ人の見聞録

週1日は「メール禁止デー」ねぇ

う~ん…基本的に桜井社長は「会えばわかる」「話せば分かる」という価値観を持っておられるのでしょう。全体では「コミュニケーションを取る手間、お互いに相手を理解しよう(学ぼう)とする手間を惜しんではいけないということなのだろうと思いますが、メールを槍玉に挙げてコミュニケーション不全の状況を批判するのはちょっとピント外れですし、ミスリーディングになってしまっているように思います。

週1日は「メール禁止デー」に
  • 「人から直接学ぶ、あるいは自然から感じ取るというチャンスや習慣があまりにも薄れています。因果関係が分からない不気味な殺人事件が多発するのは、命の尊さや自然の道理を教わる機会がないことに起因するかもしれません」
  • 「人から学ぶにはフェース・トゥー・フェースのコミュニケーションを改めて大事にすべきです。直接会って会話する、不便でも電車に乗っていって待ち合わせる。仕事だけでなく一般生活でも、もっとこうした機会を増やした方がいい」
  • 「極端に言えば、職場や家庭で、一週間に一日ぐらいはメールの使用を原則禁止にしてみてもいい。できればその日は電話も使わないようにする。便利な世界から少し不便な世界に戻す。原点回帰の場を作ることも大事だと思います」
  • 「人と対話するとき拒否反応が出るのは怖いものです。メールだと、それがスーッと通り抜けてしまう。これは拒否ではなく無反応。送る方には怖さがなく、受ける方は反応しなくてもいいやという気持ちになってしまいます」
日経新聞「インタビュー領空侵犯」リコー社長 桜井正光氏 2006年3月27日)

「会えば分かる」「話せば分かる」というのは、まず自分の側に相手の話や意見を聞く意思が必要ですし、相手の側にも自分の話や意見を聞く意思が必要でしょう。「会えば分かる」「話せば分かる」というのは、お互いがコミュニケーションを取る意思を持っていなければ成り立たないのではないでしょうか。「人から学ぶにはフェース・トゥー・フェースのコミュニケーションを改めて大事にすべき」というのは分からないでもないですが、前提としてコミュニケーションを取る意思があるかどうかという点が問題なのでは?と思います。

もちろん「会って話をする方がメールより情報量が多い」ということ自体は否定しませんが、「情報量が多い」ことと「多くの情報が伝わる、理解される」ということは常にイコールというわけではありませんし、フェース・トゥー・フェースでコミュニケーションしていれば、いつの間にか学ぶ意思や人の話を聞く意思が養われるかといえば、そんなことはありません。テレビの「討論番組」や会社で繰り広げられるアリバイ作りとしか思えない無駄な会議などを見れば、「会って話す」こと自体が万能のコミュニケーション手段だとはとても言えませんね。

もうひとつ、桜井社長は「メールは会って話すことに比べると相手の拒否反応を怖れなくて済む分、コミュニケーションが軽くなりがちだ」という認識を持っておられるようですが、これも違和感を感じるところです。自分の思いや考えを相手に伝えようとする場合、相手の拒否反応や無反応に対する怖れは伝えたい内容に対して真摯さを反映したものになると思います。確かにメールは相手の反応がリアルタイムで返ってこないという点で、会って話すことよりは心理的な垣根は低くなるのかもしれませんが、自分の思いをメールに載せて軽く送れなくて悶えている人はたくさんいると思います。メールなら相手の拒否反応を怖れることなくスーッと通り抜けられると本気で考えているとしたら、それは流されてもいい話しかメールに載せていないことの裏返しではないのかな?と感じます。