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お気楽金融雇われ人の見聞録

プロとアマの意識のズレをどう埋める

量刑意識、国民にばらつき…最高裁が調査
2009年に実施される裁判員制度に向け、最高裁司法研修所は15日、刑事裁判の量刑に関する国民と裁判官の意識を比較した調査結果を公表した。
殺人事件の量刑について、国民の意見が死刑から執行猶予付きの懲役刑まで大きなばらつきがあったのに対し、裁判官は互いに似通った意見を示すなど、両者の違いが鮮明になった。最高裁は制度開始に当たり、裁判官に調査結果を重要な参考資料としてもらう方針だ。(YOMIURI ON-LINE 2006年3月16日)

法律の素人である一般人の量刑意識がばらつくのはある意味当然で、実際の裁判員制度の運用では裁判官が量刑の相場感を示しながら運用していくことになるんでしょう。それより興味深かったのは次の指摘。

犯行の計画性や前科など事件の性質を示す複数の要素について、量刑を重くする事情なのか、軽くする事情なのかを聞いたところ、〈1〉被告が少年〈2〉飲酒で判断力が低下〈3〉被害者が配偶者――の3要素では、「重くする」とした国民が目立ったのに対し、裁判官は「軽くする」との回答が多かった。

裁判官が「軽くする」としたのは、(1)被告人が少年のケースでは少年法の規定、(2)飲酒で判断力低下のケースでは心神耗弱の可能性ありという判断があってのことだと思いますが、(3)被害者が配偶者のケースで量刑を軽くする判断が働きやすい要因が良く分かりませんでした。被告人が配偶者から長年DVの被害を受けていたというケースが想定されているんですかね?それとも病気の配偶者の将来を悲観したとか配偶者の嘱託を受けたというケースが想定されたんしょうか。

で、おそらく一般人側は、事件から受ける印象はもちろんですが、例えば自分や自分の身内が被害者になった場合のことを想像しながら量刑を考えたと思います。例えば「親を焼き殺したり毒殺しようとしたり、ホームレスを殺したりする少年に本当に更生が期待できるのか?とか、てめぇで酒飲んで酔っ払って犯罪を犯しておいて心神耗弱とは何事だ(情状酌量の余地なし)?とか、金目当てに妻や夫を殺してしまう人間に情状なんて考える必要ない、といったようなあたりでしょうか。

そうすると「目には目を。歯には歯を。」じゃないですが、どうしても受けた痛みをやり返すという発想が先に立ちますね。個人的には「重くする」はちょっと行き過ぎで「中立」(重くも軽くもしない)というのが妥当なところかなという印象を持っていますが、質問の内容と与えられた選択肢によっては、「重くする」を選ぶこともありそうです。

客観性に欠けると言われればその通りなのだと思いますが、身近なケースに置き換える以外に判断の拠りどころが無いアマチュアの一般人(裁判員)の「感覚」と法律の定めに則ったプロの裁判官の「判断」の間をズレというのは、言ってみれば社会が暗黙のうちに共有している正義感と実際に運用されている法律との間のズレであるという見方もできるでしょう。そう考えると、アマチュアの考えだから間違っているといって一方的にプロの考えに寄せてしまうというのも絶対的に正しいかというとそこまで断言はできないのかも知れません。まぁ、ほとんどの場合はプロの考えの方が正しいと思いますが。

一般的にプロとアマが同じ土俵に上がって一緒に仕事をするというのはレアですが、裁判員制度はまさにプロとアマが一緒に仕事をすることになるわけですから、両者の意識のズレは小さいに越したことはありません。今回の意識調査で明らかになったズレを将来的にどう埋めるか(寄せるか)というのは、司法というより立法の問題なのかもしれませんが、いずれにせよ悩ましい問題だと思います。