聞いた、見た、読んだ。

お気楽金融雇われ人の見聞録

賑わいと静けさの両立という頭の痛い問題

都市の景観行政というと景観をいかに「守るか」という文脈で議論が展開されがちですが、景観を守る一方で人っ子ひとり立ち寄らない地域になってしまっては本末転倒なんでしょう。ある程度の賑わいを保ちつつ、一方で景観も守るというのは悩ましい、頭の痛い問題です。

鎮魂の象徴 揺らぐ景観
原爆の悲惨さを後世に伝える広島市原爆ドームが景観問題に揺れている。発端は近くで建設が進む高さ約44メートルの高層マンション。被爆者団体は「鎮魂の思いをささげる空気が破壊される」と反発。縦割り行政の弊害から建築を認めた市の対応に批判が出る。高さ制限は困難な状況だが、平和活動の象徴としての景観をどう守るのか、投げかけられた課題は重い。(「時代のフィールド」日経新聞 2006年3月13日)

広島市原爆ドーム周辺の景観をどう守るかという問題。ドーム周辺で高層マンションの建設が進められており、その元凶として「縦割り行政の弊害」がやり玉にあがっています。ただ、実際には既に原爆ドーム周辺では日経新聞が問題としているマンションのほかにも、同程度の高さのビルが建築されているようですから、日経の論調はやや誘導的な印象を受けます。「縦割り行政の弊害」と言いたいだけなんじゃないかと。

爆心地の将来像めぐる論議白熱
市は二月末、ドームを含む平和記念公園一帯の保存・整備方針の最終案を発表した。検討を始めた背景には、被爆から半世紀以上が過ぎ、平和のメッセージが伝わりにくくなったことへの危機感がある。最終案には、原爆死没者追悼の「聖地」として、市民の活用を制限してきた従来の考えからの思い切った転換があった。
(略)
肝心の市は、まちづくりの中で、ドーム周辺の位置付けを明示していない。例えば景観。一九九五年、ドームと平和記念公園の周囲五十メートルをバッファーゾーンに設定した。新築する建物の外観について、建築主と事前協議することになっているが、強制力がなく、ゾーン内に高さ四十メートル以上のビルが四棟建設された。(中国新聞 2006年3月2日)

おそらく中国新聞の記事の方が実態に近いのだと思いますが、これを読むと原爆ドーム周辺の景観を巡っては「祈りの場所として静けさを保ちたい」という希望と、「人々の憩いの場としてある程度の賑わいが欲しい」という希望がぶつかり合っていることが窺えます。被爆者本人やその家族は前者に属する方が多いでしょうし、広島市民の多くは後者の希望を持っている方が多いのかもしれません。

私自身は身内に被爆者もいなければ、広島市民でもない、原爆ドームも学生時代に1回訪れただけという、広島市とは縁遠い人間なので、「かくあるべし」などということは言えないのですが、平和を祈念する都市としての広島のアイデンティティやその象徴としての原爆ドームや記念公園のあり方を考えていく上では、広島市民以外の人に「忘れられないようにする」ということが結構なポイントになるんじゃないでしょうか?そうなると、ある程度の賑わいが必要だという考え方に一定の合理性を認めざるを得ないのかなと思います。