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義務教育費国庫負担金制度を維持して守りたいものって何だ?

義務教育費国庫負担金の件、中央教育審議会では国庫負担堅持の方向で答申が出てきそうな雲行きですが、義務教育として何を教えるかという「内容」の議論と実際の教育現場における「運用」の議論、それに義務教育を行なうための「財源」の議論が錯綜して、本質からどんどん遠ざかっているようです。

義務教育費 中教審「国庫負担制を堅持」 (YOMIURI ON-LINE 2005年10月4日)
中央教育審議会は3日、国と地方の税財政を見直す三位一体の改革の焦点となっている義務教育費国庫負担金について、「制度を堅持すべきだ」とする最終答申をまとめる方針を固めた。
同日の義務教育特別部会(鳥居泰彦部会長)で、こうした意見が大勢を占めたためだ。同部会が12日に答申の素案を示し、月内に決定する。ただ、小泉首相は、中学校分の負担金8500億円を削減し、地方に税源移譲するよう求める地方6団体の主張に理解を示しており、負担金の扱いに関する政府の最終結論はなお流動的だ。
義務教育費国庫負担金の問題は、極論すれば「財源」の問題に過ぎず、「税金」という限られたパイを「国と地方でどう分けるか」「地方が税金をどう使うか」に集約できます。「財源」の問題として捉えれば、歳入(税収)が「国>地方」であるのに対し、実質的な歳出が「国<地方」となっているマクロ構造の歪みをどう是正するかという話になります。

これまでは地方交付税交付金などさまざまなな名目で「国⇒地方」へのカネの流れを作ることによって、国と地方の歪みや地方間の歪みを是正してきたわけです。今回の三位一体改革は、税金を受け取る主体を国から地方に移すことで、歳入と歳出における国と地方の歪みを是正しようという取組です(参考)。

従って、議論すべきは「義務教育目的で交付されている国庫支出金が、きちんと財源ごと地方に委譲されるのか?」という点であるはずなので、かつそれが全てのはずですが、ここに義務教育の「内容」や「運用」の議論を恣意的に絡めるから議論が錯綜するのです。

上の記事によれば、「地方6団体の代表を除く約20人の出席委員全員が『地方により格差が生じることは好ましくない』『分権と、国による教育費確保は矛盾しない』など、国による教職員給与負担の必要性を指摘した」そうですが、どちらの意見も議論を錯綜させているだけにしか見えません。

例えば、「地方により格差が生じることは好ましくない」という意見は、従来から国庫金負担を維持するための代表的な意見ですが、国庫金負担を維持することで何の格差を解消しようとしているのでしょうか?何の格差が生じることが好ましくないのでしょう?

義務教育で教える「内容」?

義務教育で教える内容は、「学習指導要領」として「国」が一元的に最低限の内容を定めています。現在の学習指導要領が問題ないかどうかというのは国庫金負担制度の維持とは関係ない問題ですし、学習指導要領以上の内容を教えることも禁止されているわけではありません(どころか推奨されています)から、既に各地域が工夫した内容が教えられています。10月3日の審議会資料として文部科学省が配った資料「費用負担関連資料(PDF)」にもはっきり書いてあります(5ページ)。国庫金負担が「内容」の格差を解消しているわけではなさそうです「内容」の格差が生じることは問題ではないようです。

では教員配置のような「運用」?

確かに教員配置については、はっきりした格差が存在しています。同日に配られた別の審議会資料「今後の学級編制および教職員配置について(PDF)」によれば、公立小学校の都道府県別1学級あたり児童数は、平均26.2人、最大が埼玉県の30.2人、最小は高知県の18.4人となっており、埼玉県と高知県では実に1学級あたり11.8人の「格差」が生じています(39ページ)。中学校も同じ状況です。これが国庫金負担制度で是正された格差是正すべき格差なんでしょうか?

先の「費用負担関連資料」の5ページには教員配置は地方裁量と書いてありますので、埼玉県の状況が望ましい状況かどうかはさておき、国庫金負担は「運用」の格差を解消しているわけでもなさそうです「運用」の格差が生じることも是正すべき格差ではないようです。

結果として発生する格差、いわゆる成績の違い、進路の違いなどの格差は問題といえば問題なのでしょうが、国庫負担の問題とは関係ないですよね。

こうしてみると、国庫負担金制度を維持することで是正される「格差」というものは、どうも実態が無さそうです。国庫負担金制度が、上で見たような格差を是正するように機能しているとは言えなさそうです。

また、「分権と、国による教育費確保は矛盾しない」という意見は、確かにその通りなのですが、逆に「教育内容(学習指導要領)を集権的に決めることと、義務教育の財源を地方に委譲することは矛盾しない」わけで、何の説得力もありません。

さて、そうすると義務教育費国庫負担制度「堅持」派の方々は、この制度を維持することによって何を守ろうとしているのでしょう?