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総合学習の時間を削減するのはまだ早い

中山文部科学大臣がスクールミーティングの場で、「総合的な学習(総合学習)の時間」を削減し国語や算数などの主要教科の時間に振り替えるなど、いわゆるゆとり教育の見直しに言及した。中山文科相としては、昨年のOECDの学力調査で判明したとされる日本の児童・生徒の学力低下を心配して、基礎的な学力をつけるための主要教科の授業時間を増やすことを考えたのだろう。
「ゆとり」転換、主要教科の授業時間拡大…中山文科相(YOMIURI ON-LINE 2005年1月18日)

ちょっと待ってほしい。そもそも学力は本当に低下傾向にあるんだっけ?学力低下が所与のものとして扱われているが、OECD調査で分かる結果は、成績トップ層に低下傾向は見られず、問題にすべき点があるとすれば学力の二極分化傾向だったはず。二極分化傾向も望ましい傾向ではないことは確かだから、全体の底上げを図る必要があることは分かる。そしてそのためには基礎的学力をつけること、すなわち主要教科の授業時間を増やすことが必要であることも分かる。しかし、それと引き換えに総合学習の時間を減らしてしまうのは問題がある。

もともと総合学習は、日本がキャッチアップ型の経済を脱し、国際競争力を維持・発展させるためには、マニュアル人間ではなく、「自ら課題を見つけ、問題を解決する能力」や「主体的に取り組む態度」を身につけた人間を育てる必要があるということで導入されたはずだ。その成果もはっきりしないうちから、総合学習の時間を減らしてしまうというのは定見が無さ過ぎる。

課題設定能力や問題解決能力をどう身につけるかという問題は、おそらくどの国でも頭を悩ませている問題で、アメリカでも競争力評議会(Council on Competitiveness)が昨年末に発表した報告書"Innovate America"の中でも、人材に関する提言のひとつに"Stimulate creative thinking and innovation skills through problem-based learning in K-12, community colleges and universities(小中高大学における問題解決型学習の推進を通した創造的思考やイノベーションスキルの啓発)"が挙げられている。この報告書は、経済のグローバル化がますます進む中で、アメリカが引き続き発展・成長するために必要なことを提言しているもので、その問題意識は日本も共通しているはず。

総合学習の時間を削るということは、課題設定能力や問題解決能力をみにつけるせっかくの機会を減らすことにつながることになる。確かに現時点では、総合学習による目に見える成果というのはあがっていないのかもしれない。しかし、それはこれまでの教科書に基づく、すなわち答えが用意された教育体系に、個々人の問題意識に基づいた事前に答えが用意されていない教育体系が入ってきたことによる戸惑いやノウハウ不足が大きな要因だと思う。だとすれば、それは多分に運用の問題であり、総合学習のコンセプト自体の問題ではない。今の段階で総合学習の時間を削減しようとするのは時期尚早だと思う。

主要教科の時間は増やすべき、総合学習の時間は減らすべきでないとすると、解決策は(1)1日の授業時間を増やす、(2)土曜日の授業を復活させる、(3)宿題の形で主要教科の学習時間の一部を家庭で受け持つ、といったところになるだろうか。私自身、平日はほとんど子供と接する時間を確保できていないので全く説得力が無いが、本当は(3)のように必要な主要教科の学習時間の一部を家庭で受け持つべきなのだろう。


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