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ドイツ、ハイジャック機の撃墜を容認

ドイツでテロリストなどに乗っ取られた旅客機の撃墜を容認する法律が発効したそうだ。「乗っ取り機がさらなる人命を奪うのに使われ、それを防ぐ手だてが他にない場合」には、ドイツ連邦軍の戦闘機を投入し、国防相の命令によって撃墜してもよいということらしい。
ハイジャック機の撃墜も容認、独で対策法が発効(2005年1月16日 YOMIURI ON-LINE)

この法律は9.11テロを教訓に制定されたということだが、ついこの間有事法制が出来上がった日本には、今回のドイツの法律と同趣旨の法律は無かったはず。9.11テロのような事態を想定した場合、日本でも同じような法律を制定し、きちんと運用することはできるのだろうか?

実際にはハイジャック機の撃墜を容認する法律の制定が相当困難と思う。なぜなら、ここ1年のイラクにおける人質事件などの影響で、国民の安全を守ることが国の重要な責務のひとつであるという認識は一般に広がってきたが、多数の国民の安全を守るために少数の国民に犠牲を強いることがあり得るという認識は一般的でないからである。

わが身に照らしても、理屈ではテロリストが旅客機を乗っ取り、例えば丸ビルや六本木ヒルズに突っ込むことが明らかな状況であれば撃墜もやむなしかと思う。しかし、自分や家族が運悪く乗っ取られた旅客機に乗り合わせてしまった場合を想像すると、自分が乗っていた時は諦めるにしても、家族が乗っていた時に、はいそうですかと撃墜を容認できる自信は無い。

よく考えれば、例えば空港や道路を建設する際の土地収用など国が多数の国民の利益のために一部の国民の権利を制限するケースは他にもある。国と国民の関係はそういうものだと割り切ってしまえば良いのだが、制限される権利が金銭や他の資産では代替できない生存権であるところが割り切れなさの原因なのだろう。